社長インタビュー記事
「高校に行かず、
すぐに働いてほしい」って
言われるぐらい
貧乏だった少年時代
伊藤さんが塗装屋さんという仕事に就いた経緯を教えてください。
最初の仕事は16歳の時で「防水工」でした。地元に防水工事で日本で5本の指に入るすごい会社があって、仲間から「あそこ稼げるぞ」って聞いて、夜間高校に通いながら働き始めたんです。なので20歳くらいの時には既に30万円ぐらい稼いでいました。親方達がとても良い人ばかりで、仕事を一から教えてくれたんですよ。
なぜ、そんなに若い頃から働き始めたんですか?
家が貧乏だったんです。母親から「高校に行かないで、すぐ働いてほしい」って言われるぐらい。当時、周りの友達はみんな俺はどこの高校に行く、とか言っている中で「自分は貧乏だから高校に行かせてもらえない」、なんてカッコ悪くて言えなかったですね。でも、記念に1校だけ受験させて欲しいって母親にお願いしたんです。で入試の時に数学1問しか書いてないのに、それでも受かりまして…
防水工事の仕事をしをながら夜間高校に通い始めた、というわけですね。
はい。でも3年生に上がる時に先生と喧嘩をしてしまい、それがきっかけで停学になり、さらにその後、友達数人とタバコを吸ってるとこを先生に見つかって、それが何回かあって退学になってしまったんです。荒れてましたね~。フルで働いて稼いでいたし、勉学なんてどうでもいいやっていう気持ちだったんです。
いわゆる不良だったんですね。
そうですね(笑)。自分から手を出すことはなかったんですけど、喧嘩ばっかりして22才ぐらいまで何回も補導されて結構腐ってましたね、あの頃は…。でも最後に捕まった時に、「もう、いい加減にやめよう」と思ったんです。自分で自分が「馬鹿みたいだな」って思って。成長しないで何回も捕まって…
改心して良かったです。その後はどうなりましたか?
そんな感じで防水工の仕事もクビになっていたので、父親と同じトラックの運転手を始めたんです。1回ちょっとやってみたいなと思って。
なぜやってみたいと思ったんですか?
父親の背中を見て影響されたのもありますが、当時「トラック野郎」っていうTVドラマの、菅原文太が演じる「星桃次郎」にあこがれて(笑)。遊び人のチャランポランな感じなのに、好きな女性にめっぽう弱く、人から助けを求められると「わかった俺が走る!」って言って、トラックいっぱい荷物を積んで重量オーバーで発進するという…。それがとにかくかっこよくて。ああいう人になりたいなって。
実際は何を運んでいたんですか?
「ガラス」です。遠い場所だと長野とか静岡ぐらいまで。でもその仕事もあることをきっかけにやめたんですけどね。ある日、トラック3台で目的地に一緒に走っていて、無線で「野辺さーん」って一番後ろを走っている運転手に話しかけた時に「はーい!ぐちゃぐちゃぐちゃぐちゃーっ」て聞こえたんです。その後全く応答がないので、不安になってもう一台の別のトラックの運転手と、Uターンして戻ったら、野辺さんのトラックのキャビンがぐちゃぐちゃになってたんすよ。すぐに救急車を呼んだんですけど、トラックって荷物の到着が遅れると延滞金が発生しちゃうので遅れることが出来ないんですよね。その人のそばにいて介抱してあげたかったけど、野辺さんもそれが分っているから「俺にかまわず走ってっていいよ!何とか大丈夫だから」って…。その時に、この仕事は長く続けるものじゃないなって思ったんです。で、その後に塗装屋さんに転職したんです。
「ありがとう」って
言ってもらえて、
さらにお金までもらえる
こんな面白い商売はない
やっと今の仕事のスタート地点、塗装業に初めて入るわけですね?
はい。それが、最初に経験した「防水工事」と道具が共通していて、スッとやれたんですよ。材料が別なだけで、やってることは似ている。だから入ってすぐに現場を任されまして、自分より若い子もいたので彼らに負けまいとかなり頑張って急ピッチで仕事を覚えましたね。そのころ僕は既に22~23才。16才ぐらいの子に「これやって」って言われて、もちろんその時は「はい」ってやりますけど、内心微妙ですよね(笑)。
最初に経験した「防水工事」と似たような仕事とのことですが、新しい発見とか面白さとか、この仕事をずっとやっていけそうと思える手応えはありましたか?
そこは塗料の品番を渡されて、それを現場に持って行ってただ塗るだけだったので正直「つまんねぇなぁ」と思っていたんですが、何社か転々としてある日すごい親方と出会ったんですよ。その時僕は28歳ぐらいでそこそこ器用で自信があったんですけど、その人の技術力の高さを目の当たりにしたら、自分が今までやってきたことなんて、誰でも出来る日曜大工レベルだなと思ったんですよ。その親方は室内のさかん仕事もやる職人で、他の人と比べて群を抜いて上手くていろんな技術を知っていて「すごいなこの人」って感動したのを覚えています。その親方と出会ったことで、やっぱり何事も勉強なんだなって初めて思えたんです。
ところが、そんなにすごい人でもリーマンショックの煽りを受けて仕事がなくなってしまうんですよね。ある時突然「当面仕事がない、一旦、各々好きにやってくれねえか」って言われたんですよ。晴天の霹靂でしたが俺も男だし「分かりました大丈夫です。自分で何とかします」って…。
解散した後は、兄弟子と色んなところを回りましたね。始めた頃は本当に大変でした。下請けの仕事ばかりで、なかなかお金にならないんです。でも色々工夫して頑張っているうちに徐々に利益が出る仕事が増えてきたんです。本当にここ最近なんです。直接のお客さんが増えて経営が上向きに良くなってきたのは。
そうだったんですね!塗装屋さんの面白いところ、魅力は何ですか?
工事が終わって「いや~!綺麗だね~!やっぱり伊藤さんに頼んで良かったよ!ありがとう」って言ってもらえて、さらにお金までもらえるわけじゃないすか?こんな面白い商売はないと思います。あとペンキって色を合わせる調色っていう技術があるんですけど、それがぴったりバッチリ合ったときは気持ちいいし面白いです。
今は個人のお客さんも増えてきて、むしろ人手が足りないぐらいなんですよね?
そうなんです。ありがたいことに。今は協力業者さんに外注することが多いので、それだったらその工賃、従業員さんに還元したいなって思いますね。もちろん協力会社さんにももっと元気になって盛り上がってもらいたいので、自分は一貫してガンガン営業をしていきますよ!
伊藤さんが大切にしている言葉はありますか?
おばあちゃんの言葉で「いつか見てろよ俺だって」です。僕はおばあちゃん子だったんですよ。「大丈夫。とも(友和)は大丈夫だから。」っていつも言ってくれたんです。すごい柔らかい口調で。
「おせっかい」と
言われてもいい、
「察する能力」を
みんなが持ったら
世界中幸せになれる
いまや様々な団体に所属して、周りに沢山いろんな仲間がいますが、仲間との間で大事にしていることは何ですか?
絆とか思いやり、察する能力。例えば元気が無いことに気付いてさりげなく声をかけられるような優しさというか。そういうことを大事にしたいです。今、他人が何をしていようが関知しないような世の中になっていると思うんですよね。でも、東日本大震災の時にみんなで支え合う、助け合うことの大切さを教わったと僕は思うんです。10年、20年経ったときに、その思いを大事にしてる人もいれば、忘れてしまう人もいる…。僕は「おせっかい」と言われてもいいからその察する能力をみんなが持ったら世界中の人が幸せになれるんじゃないかって思っているんです。
状況が変わっても絶対に守り続けたいポリシーはありますか?
「人を守り、人の幸せを願う」こと。あとは今の自分に満足してる部分もあるし、まだまだ至らない部分もあるけれど「自分自身を偽りたくない」。「変わりたくない」ですね。
いつからそう思うようになったんでしょうか。
もともと仲間意識は強いほうで、気心知れた人たちのことを何かあったら「守りたい」という気持ちが強いんです。純粋に「助けたい」。気心知れた人だけじゃなくて、その辺で子供が泣いてたら、「どうした?ぼく」って声かけられるような大人でいたいし、お年寄りが道端で何か困っていたらお手伝いしたいし、通りで包丁振り回してる奴がいたら立ち向かっていきたい。僕の行動一つで誰かが助かるんだったらいつでも命を懸けたいと思います。昔から自己犠牲力があるのかも。だからって自分の命を粗末にするということではなく、自分のできることで大切な誰かが助かるなら喜んで命を捧げますっていう…。単純に人に喜んでもらいたいっていう一心なんです。
この塗装の仕事をもっと拡大していく計画はあるんですか?
僕はとことん地域密着でやっていきたいので、全国展開には興味はないんです。地域に愛されて、地域に貢献をしていきたいという気持ちが一番大きいです。このまま「塗装業」だけをやっていくのかも決めていません。60歳まで14年しかない…。これから自分のやりたいこと、やるべきことってって何なんだろうって考えたりする日もあります。でもまだその答えは出ません。
確かなことは、お客さんにお仕事をいただいて、対価をいただいて、尚且つ「伊藤さんに頼んでよかった」って言ってもらえることがこの上なく嬉しい。そういう嬉しい気持ちを誰かと分かち合いたいという想いはあります。なのでいつかこの会社を引き継いで社長になりたい人がいるんであれば、喜んでバトンを渡したいと思っています。そのためにも僕は今しっかり仕事をして、会社として成長して、地域に貢献して、地盤固めをしていくだけです。誰も儲かっていない火の車の会社なんて引き継ぎたくないですからね(笑)
僕は常々みんなの笑顔を見守りたいって思っているんです。人を巻き込んで自分も周りも笑顔でいられるって究極じゃないですか。
技術なんて10年もやれば
みんな一緒
その人の「心」、
「職人としての在り方」が
大事だと思う
この仕事を次の世代にどんなふうに伝えていきたいですか?次の世代へのメッセージというか。
技術なんて10年もやれば一緒だからやっぱり「心」が大事。「職人の在り方」。それをちゃんと自分で考えて生きてほしい。僕は僕のコピーを作りたくないので。「職人たるもの」っていうこだわりっていうか、ポリシーを、自分なりに持ってやってほしいです。
ちなみに伊藤さんのポリシーは?「職人たるもの」の定義というか。
「お客様の建物を守り、お客様の笑顔を守る」ということ。それさえしっかり心に刻んで日々やっていたら間違うことはまず無い。
嫌いなタイプ、人として許せない言動を教えてください。
僕は本当に嘘つきが嫌いです。場を盛り上げるための嘘、誰も傷つけない嘘はウェルカムなんです。嘘ついて人のこと蹴落として上に立とうとする行為は許せません。…だからって「馬鹿正直」がいいのかっていうのも疑問なんですけどね。本音と建前ってありますし…。
今後の活動にかける意気込み、計画など教えてください。
今年(2022年現在)法人化は実現化しましたので、あとは県知事許可証を取得。それからお客さんからよく「塗装以外にもやってくれないの?」って言われますので、既に実績のある異業種の仲間がいて動いていますが、本格的に「家のお困り事、全部お任せください」って打ち出して、活動していくことも考えています。
他愛ない「ありがとう」が、
もすごく「有り難い」と思う
伊藤さんと関わった人、地域の皆さんはどう変わりますか?伊藤さんにとっての理想の未来を教えてください。
みんな絶対幸せになります。これは確信しています。お客さんの笑顔と感謝の言葉。「ありがとうね」って玄関で別れ際に言われると感動して泣きそうになっちゃったりする時もあるんですよ。「本当ありがとうね」って言われて、逆にこっちがありがとうっすよ!ってなる。
伊藤さんにとってお客さんの「ありがとう」がめちゃくちゃ御馳走なんですね!
幼少の時にそういうのが無かったからかな。僕、結構純粋なんですよ。そういう他愛ない「ありがとう」っていうのとかもすごく「有り難い」と思う。生きる活力になってる。ありがとう、ありがとうって何度も言わなくてもいいのに。本当にもう鳥肌立っちゃう!
本当はもっと儲けて、お客さんを呼んでゴルフコンペとか参加費無料でやりたいですし、納涼会とか、忘年会みたいなこともやりたいなぁって思っているんです。心の中で「お金なんて二の次」って思っている反面、お金がないとできないことがいっぱいあるのでまだまだ頑張って稼ぎますよ!それで稼いだお金を地域にどんどん還元して、そういうことに賛同してくれる仲間にいっぱい集まってきてほしいですね。
社長プロフィール
- 出身地宮城県仙台市
- 生年月日1976 年 5 月 20 日
- 職歴・土木防水工・トラック運転手・建築塗装工
- 地域活動年一回塗装でできるボランティア
- 愛読書デール・カーネギー「人を動かす」
- 尊敬する人関わる皆さん
- 所属団体・利府松島商工会・仙台広瀬倫理法人会・ニーズマッチ・守成クラブ 他
社員インタビュー記事
東日本大震災の時、
迅速に行動を起こした
職人たちの姿を見て
やっぱ「技術職」だなって
思った
千葉さんはなぜこの業界に入ったのでしょうか。初めからこの仕事だったんですか?
いえ。一番最初はサンゲツという大手のカーテンメーカー会社でした。最初は物流の管理担当で、ある程度自由に楽しく働かせてもらっていたのですが、途中から受注管理の部署に異動になると、毎日苦手なスーツを着て一日中パソコンの前に座って電話を受けたりする仕事に変わり、全く性に合っていなくて電話を受けるのが苦痛過ぎて精神状態も不安定になってきたので辞めちゃったんです。その後は色々仕事を転々としましたね。
その後、仕事探しをする際に基準みたいなのはありましたか?
自分は身体を動かすような仕事が元々好きということもありましたが、「技術職」を目指したのは、東日本大震災の時の経験が影響しています。震災の時は石巻の実家にいて、家は津波の被害に遭って流されちゃったんです。幸い津波が来る前に避難したので身内はみんな無事でしたが…。その時、震災の翌日から早々に現場系の人たちが協力して避難所の体育館の中に足場を建てて、危険な所を修繕し始めたんですよ。頭上にある大きなエアコンだとか、ダクトだとか、落ちそうな部分を全て落ちないように留めていった。その姿を見て「ああ、やっぱ技術職だな」、「職人ってすごいな」と思ったんです。親戚のおじさんも大工なんですが、自宅の1階部分が津波の被害にあって、でも3日後ぐらいには自分で床を剥がして直し始めて…。その行動の速さというか、たくましさに当時すごく感心したというか…。その頃から「技術職」というものにあこがれを抱いたということはあります。
そうだったんですね。その後はどうしましたか?
石巻でしばらく働いてお金を貯めて、多賀城に戻ってきて技術が身につく仕事がしたかったので近くにあった「配管工事」の会社に入りました。そこで5、6年勤めましたかね。でも給料があまりにも低かったので、これでは続けられないと思って辞めまして、また仕事を探していたら伊和塗装店が人を募集していたので応募したんです。やっぱり身体を動かす仕事がしたかったので。
ただ塗るだけなのに、
経験者と未経験者では
仕上りに差がつく。
それが面白い。
伊和塗装店に入ってみていかがでしたか?
入る前は、「塗装って塗るだけでしょ?」なんて簡単に思っていたんですけど、実際にやってみると、塗り方とか、材料の合わせ方とか、いろんな要素があってけっこう奥が深いんですよ。自分はそういうほうが楽しくなってきちゃう性分なので、面白いと思えましたね。
分らないことは、教えてもらえる環境でしたか?
そうですね。先輩職人に教えてもらいました。年下なんですけど、色々細かく丁寧に教えてもらいました。ただ塗るだけなんですけど、同じことをやっても経験者と未経験者では仕上がりに差がつくんですよ。それが面白い。「何でだろうなぁ」って考えながらいつもやっていましたね。
千葉さんは年下から教わることは抵抗なかったわけですね。
はい。昔は上下関係とか気にする性格でしたが、震災を経験して職人の世界に入ってからはそういうのは一切無くなりました。やっぱり「技術」は年下だろうが何だろうが上手い人から教えてもらったほうがいいですし。
今この会社で7年経って技術力もついてきて経験を積んできたわけですが、難しいなって思うこと、壁にぶつかることはありますか?
現場に行けば必ずありますよ。同じ現場は一つも無いので。同じ形の家も無いですし、天気にも左右されて、ペンキの乾き具合も違うし、段取りも変わってきます。前の日に天気予報を見て、考える事は毎日いっぱいあります。複数の現場を掛け持ちする時もありますし。予定通りにはまず行かない。
大変ですね。
大変だけど自分は飽きっぽい性格なので、その方がやりがいがあるんですよ。ずっと同じ作業が続く、創意工夫があまり要らない現場は飽きますね。時間が長く感じます。マンションとか。
何年経っても自分が塗った
建物のそばを通る時は
やっぱりじっと
見てしまいます
仕事が辛いと感じるときはありませんか?
段取り通りにいかないことです。でも仕事なので終わるまでやるしかないですよね。昔やっていた受注管理の電話受けの仕事に比べたら、ぜんぜんいいですよ。好きな現場仕事なので。健全です。
この仕事のやりがいは何ですか?
一つ現場が終わった時の達成感というか、満足感でしょうか。現場が終了して何年か経っても、自分が担当した建物のそばを通る時はやっぱりじーっと目で追ってしまいますもんね。「ああ、まだキレイだな。大丈夫だな」って。「この現場大変だったなぁ」なんて思いだしながら…。
この職場に入って良かったなと思うことはどういうところですか?
地元密着で仕事をしている事ですね。お客さんとの関わり方も好きです。お客さんと世間話とかも嫌いじゃないですし。つい長話になっていまうんです。
この職場をもっとよくするようなアイデアがあれば教えてください
アイデアというわけではありませんが、塗装屋さんのイメージをもっと良くしたいです。職人としてとことん品質にこだわってやってることを知ってほしい。あとは、自分達の価値感とか仕事に対するスタンスがピタっと合うような仲間を増やしたいですね。なのでこれからホームページも充実させてその辺も発信できればいいのかなと思っています。
この会社ならではの特徴はありますか?
他の同業会社は知りませんが、仕事を覚えてしまえばある程度自分の裁量で自由に仕事を進められるっていうところはあります。任せてもらえるっていうか。
それはやりがいがありますね。社内の雰囲気はいかがですか?
マイペースに粛々と仕事ができる雰囲気です。たまに社長に言いたいこと言ったり。2年ぐらい前までは社長によく叱られましたが、最近はそういうことはほとんどなくなりました(笑)。
千葉さんの理想の人生を教えてください
このまま塗装の仕事が続けられたらいいです。身体が動く限り。自分はもともとすごく細かいことを気にする性分で、いつもピリピリしていましたが、震災で180度変わったんですよ。昔はいい車に乗りたいとか物欲も旺盛で、こだわりも強いほうでしたが、津波で全部流されて、そういうの全部どうでもよくなっちゃったていうか…。
なので毎日平和に仕事が出来て、健康で、美味しいものを食べたり飲んだりできればいいかなって(笑)。
1周して逆に今どきの若者見たいですね(笑)今日はありがとうございました!